大寒卵に恵方巻

木枯らしが吹くいちばん寒い季節。春とはいうが冬真っ只中…
いわゆる恵方巻なる食べものは、関西を中心に局地的に食されていた地方の風物詩だったものが、ここ15年くらいは、ものすごい勢いで全国区に躍りでた。それに続いて、この数年は、大寒の朝に生まれた、その名も大寒たまごなるものが、にわかにブームの兆しを見せているようだ。今後、インフレが進んで常態化してしまえば、恵方巻きほどの地位も奪取できずに消えてしまうのかも知れない。その昔、物価の優等生といわれた卵も鶏感染症の影響もあってこのところ値上がりを続けているが、それと比較しても大寒たまごは驚くほど破格に高い。卵10ケで2,000円〜というから縁起もの以外の何者でもない。
この時期、新酒(日本酒)もそうだが、日本人は、生まれたての、真新しい、新品ピカピカの、誰も手をつけていない、というような形容を好むから、中身はきのうも明日も同じ鶏が生む卵でも意味合いがちがう。もちろん、平時でなければ、そんなことを悦んだり貴重品扱いしたりはしまい。ウチの亡母が第二次大戦の終戦を迎えたのは小学一年生の夏だが、九州の田舎育ちだったから、戦時中でも白米を食べていて、おまけに祖父は大工の棟梁だったから、棟上げに供される大きな鯛に飽き飽きてしまい、数十年後、70、80の祝いの席でも鯛を好んで食べることはなかったくらいに、食には恵まれたひとだった。
母は田舎料理の味つけが上手で、親戚や近所の友らと会食を交える集会所のようになっていた。たまに手伝いをすると、酢のものの酢量を自分に合わせずに手加減しなさいとクギを刺されたものだった。今は、その辺にある具材で、おひとり様の、焼き海苔を1/2にカットした分量の巻き寿司しかつくらないので、寿司酢は手づくりしないで、昔馴染みのメーカーの粉末を使っている。たったの1.5合の炊き立ての銀シャリを半分ずつに分けて、こっちは酢飯、こっちは夜のご飯という具合に、一回で二度おいしい炊飯システムになっている。今はもう廃業したが、それこそ10年前までは、叔母夫婦が寿司屋を営んでいて、その歴史のおしまいには、恵方巻、(土用の丑の)鰻太巻きなどのシーズンものの張り紙をしていたのが記憶にある。節分は、朝から晩まで巻いて巻いて、仕事とはいえさぞかしうんざりしただろう。やはり、こういうものは、素人の手仕事でも、自宅で少ない量を巻くからいいのであって、いや、もう、そんなことはしないで、いきつけのスーパーで早期にご予約なさるのだろう。今は、一番摘みの有明海苔も不作で高騰していて、母が生きていた頃、ジャンジャン何枚でも消費していたのが嘘のようだ。我ながら焼き海苔を食べる機会が激減してしまったのは悲しい。よほどの好物でもない限り、こうして、自分だけなら、きょうは自粛しようと思ってしまう。かといっていきなり下位にすれば味の差は歴然だろうと思えばそれも躊躇されてしまう。幸いなことに、じゃぁ、恵方巻きもやめようとまでは思わないが、いつか体力が落ちたら、それすら嫌になるのかも知れないから、想像すると空恐ろしい。
ブームに敏感なのは若い世代で、それこそ、我が家だけそうではないというのに苦痛や問題を感じるから、売り手はそこに仕掛けようとする。年寄りは、行事食の日には財布を持たされてきたが、年金は目減りし、医療費の負担は増える一方になれば、不安は雪だるま式に増えるし、やがてはたまの外食すら許容できないレベルになるかも知れない。
モノが売れるのは、浮かれてはいられなくても、そこそこ、ふつうにしていられる世の中だからこそというのを忘れてはいけない。
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