
エコノミックアニマル、Japan asNo.1などといわれた頃から、効率、合理性、そして、PL法、コンプライアンスとわめき立ててグローバル化が進んだ。戦後統治下の無理やりアメリカナイズにはじまり、その後、もちまえの勤勉さと社内一丸の団結力で調子に乗った日本を陥れて、まんまと円キャリー資金運用の供給源にしたのだから、それらの語句は、盗人たちが都合良く言い訳するための下敷きだったとわかる。
鳥居の真ん中から朝日が昇る。何だかいつもより神々しくてありがたいと写メを撮る。大晦日と元旦と、日めくりカレンダーが一枚めくれただけで、物質的にはちがわないが心境が変わる。何処にも合理性などないが、日本に生まれ育ったひとたちは、似たような行動をとるし、見えない感覚を共有している。いいとか宜しくないとかではないし、よその横暴な国からとらかく言われる筋合いはない。何がコンプライアンスだ!と個人的にはいまいましく感じるが、海外相手の法人などは便宜上避けるわけにもいかないだろうから、とりあえずは、それなりの体をなしておいてください。
交通事故を起こした際、こっちが悪い自覚があっても先に謝ってはいけない、すべては訴状で片付けるのだからなんて社会に似せるために法科大学院を増やしたが、あまり機能しなくて閉鎖傾向にあるらしい。良心をベースに生きていた国の人たちにコンプライアンスも何もないだろう。もちろん、公害を起こした企業など例外はあるから、そんな時は個別に検証すればいい。一律に文言に書いたことだけでカバーできるもめごとなんてごく一部なのに、それを合理的に切り捨てて、何とか逃げ切れば平気という、美意識もなければ善悪の区別もつかない劣等で下品な稚拙ないきものと察しがつく。そんなのばかりだから世も末になる。
今宮神社の焼き餅屋さんは1,000年以上の歴史を持つ。とらやの羊羹だって数百年の間レシピはそのままで、パリでもNY.でも通用している。コンプライアンスなんてちゃんちゃらおかしい。もっと大切な守るべき指針があり、大衆に支持されたのは想像にかたくない。これからは、封印されていた、もとからのアイデンティティを思い出して大切にしようじゃないか。わかるひと、共感するひとしか注文しない、お金は払わないし、常連になんてならないのに、何処に目を向けているのか?
「コレ(日本語表記)がわかるひとだけご入店ください」と書かれた張り紙が話題になった。お客様は選んでいい。美意識を共有できるひとなら何処の誰でも宗教の別もあるなしも一切関係ない。現金のみ、でもかまわない。